wisplog
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3日、大きな訃報がありました。
またお一人、わたしの幼年~少年期に影響した文化の担い手がいなくなってしまいました。
わたしは彼の人の生み出す作品の恩恵をただ一方的に享受するだけで、何かしらの関係があったわけではないのですが、それなりにショックを受けました。
それなりに、ショックです。
またお一人、わたしの幼年~少年期に影響した文化の担い手がいなくなってしまいました。
わたしは彼の人の生み出す作品の恩恵をただ一方的に享受するだけで、何かしらの関係があったわけではないのですが、それなりにショックを受けました。
それなりに、ショックです。
が。
不思議なことに、悲しくはないのです。
「ちょっと世界が寂しくなったな」と思うのですが、悲しくはないのです。
大好きな作家やクリエイターの訃報を聞く度に、その人がいなくなってしまった寂しさとともに、「もうこの作品の続きを見ることはできないのか」「もう新作を見ることもないのか」という悲しみも覚えるのですが、今回はそれはないのです。
不思議なことに。
ほんとうは、そんなに執着していなかったのかも知れません。
けれども、やっぱり、寂しいです。
あの人の作品をすべて知っているわけではなく、また、すべて読んだわけではないのですが。
あの人の作り出した作品には、「哀愁」はあっても、「悲しさ」は無かったような気がします。
「たのしいもの」「うれしいもの」「ほっとするもの」ばかりだったような気がします。
訃報が悲しくない理由も、そこら辺にあるのかな。
赤塚不二夫さん。
赤塚さんがいなくなったこの世界は、ちょっと、寂しくなってしまいました。
でも、悲しまなくてもいいように、すてきなものを沢山遺してくださいましたね。
本当にありがとうございます。
向こうで楽しく過ごせますように。
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無題
またひとつ、昭和が遠くなりましたね…哀悼。
子どものころ、生まれて初めて親に頼みこんで買って貰ったマンガが
「おそ松くん」でした。チビ太のおでんは今でも、最高に美味しい記号だと思います。断言!
手塚先生の初期マンガの、やわらかいけど、どこか根源的な部分でゾッとする感じを
明るくカラッとしたギャグに昇華していったのが
赤塚先生だったような気がします。
私もぱやせんさんと同じく、訃報に接して寂しいものの、
やはりなぜか悲しさにくれることはなくて、赤塚ワールドの持つ
ドライなたのしさを思い起こしてました。
自分の根っこを作ってくれた人がまた一人いなくなるときに、
惜しい。よりも、ありがとうございました。という気の方が先に立つのは
それがまた、昭和が遠くなってる証しかもしれないとも思いつつ…。
向こうのトキワ荘で、石ノ森先生や藤子先生とキャベツ炒めを
美味しくつつきながら、お酒を飲んでたらいいですね。
こちらの世界では、長年の盟友・長谷氏が書かれてたとおり
赤塚マンガを読んで、笑うことで、陽気なお見送りにしたいなと思います。
子どものころ、生まれて初めて親に頼みこんで買って貰ったマンガが
「おそ松くん」でした。チビ太のおでんは今でも、最高に美味しい記号だと思います。断言!
手塚先生の初期マンガの、やわらかいけど、どこか根源的な部分でゾッとする感じを
明るくカラッとしたギャグに昇華していったのが
赤塚先生だったような気がします。
私もぱやせんさんと同じく、訃報に接して寂しいものの、
やはりなぜか悲しさにくれることはなくて、赤塚ワールドの持つ
ドライなたのしさを思い起こしてました。
自分の根っこを作ってくれた人がまた一人いなくなるときに、
惜しい。よりも、ありがとうございました。という気の方が先に立つのは
それがまた、昭和が遠くなってる証しかもしれないとも思いつつ…。
向こうのトキワ荘で、石ノ森先生や藤子先生とキャベツ炒めを
美味しくつつきながら、お酒を飲んでたらいいですね。
こちらの世界では、長年の盟友・長谷氏が書かれてたとおり
赤塚マンガを読んで、笑うことで、陽気なお見送りにしたいなと思います。
笑えばいいのだ!
ご本人に向かっては、ただ、ただ、「ありがとうございます」としか言えないわたしです。
トキワ荘の青春の味・キャベツ炒めをみなさんで…。
そっと想像してほんのり幸せになりました。わたしが。(おまえか)
赤塚さんは単なる「漫画家」ではなく、「笑い」の求道者のお一人だったと思います。
(事実、ご自分で漫画を描かれていた時期・時間というのは本当に少なかったようですし)
よろこびも、かなしみも、「笑い」に換えてしまう方だったのではないかと思います。
モチーフはダークでドライなものも多くありましたが、それらを皮肉な笑いでもなく、乾いた笑いでもなく、単純なただの「笑い」へ変換させてしまう不思議な方だったような気がします。
そんな方をお見送りするには、そう。
そう、笑えばいいのだ!
トキワ荘の青春の味・キャベツ炒めをみなさんで…。
そっと想像してほんのり幸せになりました。わたしが。(おまえか)
赤塚さんは単なる「漫画家」ではなく、「笑い」の求道者のお一人だったと思います。
(事実、ご自分で漫画を描かれていた時期・時間というのは本当に少なかったようですし)
よろこびも、かなしみも、「笑い」に換えてしまう方だったのではないかと思います。
モチーフはダークでドライなものも多くありましたが、それらを皮肉な笑いでもなく、乾いた笑いでもなく、単純なただの「笑い」へ変換させてしまう不思議な方だったような気がします。
そんな方をお見送りするには、そう。
そう、笑えばいいのだ!
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